ワンオペ育児の疲れを優しくリフレッシュ♡

子どもたちは肌弱し、1人喘息有、食品アレルギーは無。DIY大好き&お裁縫&写真大好きな40代です。夫はASDの疑い有。辛いことも多々あるけど、ささやかに楽しく過ごしたくて、生活の向上を模索中。子どもたちとの幸せを守っていきます。共感下さる方大歓迎です ♡

育児中に夫源病を抱えた私はAC

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 カサンドラのこと

 

いつからかというと… 

 

産後から

 

…というか、結婚したころから

 

…というか、もっとさかのぼってお付き合いしていたころから

 

 

私は夫と一緒にいてもとても孤独でした

 

カサンドラを深くして、毎日気が重く、抑鬱状態で11年以上ですかね

 

夫の心が見えなくて、どうしてもつかめない

 

私の嫌がることをする(人前で私の股間を触る、などもしましたよ)

 

会話にならない

 

しかし、悪い人ではないようだ(←ここ、逃げるところなのに…)

 

そんなことを思いながら独身の私は目いっぱい仕事に精を出し

 

時間が過ぎていきました

 

私の中のAC(気が付いてませんでした)の部分は、見えない愛情にしがみつこうとしてしまったんです

 

今振り返ると、愛情のやり取りがうまくいかず孤独を抱えて泣きそうな日も多くありました

 

 私は離れ方を知りませんでした

 

元々孤独だったんです

 

ふと目が合ってフッと笑い合えるような慈しみ合える関係に、どうしてもなれない

 

どんなに寄り添っても、そこへたどり着けない

 

まだ何かが足りないのか

 

 私の何が違うんだろう

 

一体何が足りないんだろう

 

彼の行動の意味も気持ちもわからない

 

この人とはどこで繋がれるんだろう

 

 

そんな風に感じながら必死で向き合っていました

 

完全なる私の独り相撲のようでした

 

 

今だからこそわかることですが当時の彼から見ると

 

「僕の方を見ていてくれている」「嬉しい」

 

と感じていたことでしょう

 

ここから、もう全くズレていました

 

この関係はずっと変わってません

 

それでも必死に向き合おうとしていた私は、自覚のない深刻なACを抱えていました

 

ACのこと

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私は6才の頃から母に育てられました

 

妹と母の、女3人家族になり、当時住んでいたところから離れました

 

見知らぬ土地で入学したあと、父が家の近くまで何度も訪ねてきました

 

緊迫した気持ちで通学していました

 

切実な声で私の名前を呼ぶ父のことを、本当にどう振舞ってよいかどう体を動かしてよいかわからず

 

「変な人が来たよ」

 

そう母に報告していました

 

自分の言動は間違っているだろう

 

しかし、どうすればいいか、知る術がありませんでした

 

辛かった気持ちに蓋をしました

 

母と生きていくからです

 

どんなに母に怒られようが、私の体が震えあがろうが、私は母にしがみつかないと、今を生きていけないと深く感じ取っていたからです

 

母子家庭の始まりは、辛く怖く最悪な日々が多くありました

 

やっと落ち着いてきたかと思えたのは、3年目にそこから引っ越した後です

 

母の仕事が安定してきたからでしょう

 

衣食住を揃えてくれて、養ってくれてありがとうという感謝の気持ちと

 

母に対する恐怖を持っていて、当時を振り返ると今もそれを強く感じます

 

 

あれから長い年月が経ってますが、私はこの母子家庭の始まりから自己を回復していきたいんです

 

父が最近話してくれました

 

「そうか…、昔〇〇(私)は天真爛漫だったけどなぁ」と

 

この言葉は、私に大きな勇気をくれました

 

私にもありのままの自分を受け入れられながら暮らしていた時代があったとわかったからです

 

 

話は戻って、子どもが出来る前のことです 

 

私は結婚後の夫のことを母に相談しました

 

母が、言いました

 

「でも、〇ちゃん(私)が〇〇君(夫)の側にいてあげたら、〇〇君は幸せでしょ?」

 

母の言葉の中には、悩んでいる私がいませんでした

 

私は動けなくなってしまいました

 

母の言葉のオカシサに気が付いてましたが、「離婚してくれるな」という母の気持ちがあるのだと解釈して(ここがAC)、自分の気持ちに蓋をし(ここもAC)、離婚はしませんでした

 

 

子供が生まれて、育児をしていく中で私は子供と私の心を守るために、だんだんと母と会わなくなります

 

母は妹に不満を言い、妹が橋渡しをしてくれようとしたことも何度もありました

 

母の縛りから完全に心が離れられたのは、私の子供が生まれて少し経った35才過ぎた頃でした

 

実母や夫に頼らず、カサンドラで気持ちが鬱々としていました

 

そんな中で、友達と他愛のない育児の話のメールを毎日何通も送り合っていました

 

育児中のストレスはどこにも救いがありませんでしたが、友達のメールで私の気持ちはどれほど支えられたか知れません

 

そして子どもを大切に育てることで、私の中の自分を大切にするような、不思議な感覚がありました

 

それは今でもほぼ変わっていません

 

こうしてほしかった、こう接してほしかった、私の話を聞いてほしかった

 

こういう気持ちが育児中の私の原動力になっていると思います

 

 

自分の中のACが、どのように生きにくさを与えていたのかに気付けたのはつい最近のことです

 

今私の中で静かに、急速に目が覚めていく感覚があります

 

 

カサンドラのことも、ACのことも、吐き出せる分を少しずつ書き出していきます

 

誰かを救える力にはなれなくても、誰かの小さな気付きに慣れたら良いなぁと思ってます

 

そして、吐き出すことで、私自身も自分を取り戻して、自己を回復していきたいと願っています

 

気分が乗れない日は育児中心のことを書こうかなぁと思います

 

自分の言葉を外に出すことって大切なリハビリになると思ってます

 

文章力をもっと上げたいところです

 

今日は真面目な yuu でした~