今週のお題「自己紹介」します
今週のお題「自己紹介」
ということで、改めまして。こんにちは
中肉中背だといまだに思っている40代の子持ち主婦です。
2人の子供たちと、特性の強い夫の4人家族です。
ハンドルネームは yuu です^^
結婚11年目。
何とかやってます。
時々カサンドラの波がやってくることもあります。
さて、私自身は普通の主婦ですけど、その前は写真館で働いていましたよ。
その頃のことをお話ししたいと思います。
私、体育会系ではないんですけど、男性社会でかなり息切れして働いてましたよ。
お陰でたくさんのことを学ばせていただきました。
もともとは写真が好きで事務の募集枠に応募したんです。
社員になりたかったんです。
でも、事務はアルバイトしか募集してないと言われて、それでもいいのでお願いしますと雇ってもらってました。
それまでに写真業に4年半いたこともあって、ネガ・ポジなんかのことは多少わかっていたんです。多少ですよ(笑)
だから雇ってもらえたのかもしれません。
3カ月ほどして、正社員にならない?って話があって。
うれしかったなぁ。
それまでアルバイトを掛け持ちしていたんですが、もう一つのデザートを作ってスーパーへ配達するお仕事も楽しかったので退職させてもらう時には心が痛みました。
それからというもの、スタジオ一色になりました。
1~2年程経って、カメラマンが一人辞めることになったんです。
そこで、私がカメラを持つことになりました。
えーーーー
って。
私に出来るの?って戸惑ったんです。
でも、ここでやらなきゃ、せっかく正社員になれたのに、せっかく私に声がかかったチャンスなのに、やらなきゃでしょ!
というなんとも支離滅裂なことを思いながらとにかく前なんだか横なんだかに進んで行った感じがありました。
そして、業務としては事務が中心だけど、そこに辞めたカメラマンの(フォトグラファーとは言わなかったので今でもカメラマンと言ってしまう……時代かもしれません)学校行事の撮影のお仕事が入ってくるようになり、毎日頭が混乱するのを必死で整理して優先順位を付けて働いていました。
すぐに幼稚園・小学校・中学校を担当させてもらうようになり…
もうね、パンク寸前でしたよ (笑)
でも、一つ一つ順を追ってスタジオの接客と、顧客管理なんかをして、それとは別の頭で学校関係の撮影や卒業アルバムを分けて考えるようにして、なんとか一日を終えていきました。
私よりも後に入ってきた同僚が次々と役職が付いていく中、私は取り残された感覚に陥りながらも、多忙な業務をさせてもらってました。
本当はそんなこともなかったのにね。
みんなみんな必死で。
みんなみんな無我夢中に毎日を駆け抜けていた。
それぞれの部署で、葛藤もあり、人間関係もあり、実力がぶつかり合うことも?あり?(私はぶつかれるほどの実力がなかったです。ついていくのに精一杯、自分の力を付けるのに精一杯でした。まぁ私も変わってましたけどね ^^; )
そんななか、1週間ほど母と海外へ行く予定が出来たんです。
それで帰ってきてみると、なんと、なんと!
私の居場所がない!
と感じました。
頼りにしている上司もそっけない気もして。
その感覚は日に日に大きくなっていきました。
なんだろう、この感覚?
私、どうしたらいいのだろう。
何が変わったのだろう?
スカン?
数日してその思いを経営者にぶつけました。
ドキドキしましたよ~、積極的に意見出来るタイプではなかったので。
すると、経営者がご飯に連れて行ってくれましたよ(何故だろう、有り難うございます)
そして、何を食べさせてもらったか忘れてしまいましたが、一生懸命働いているのに、旅行から帰ってきたらいろいろが違う、私をどうしたいのかというようなことを言ったと思います(笑)
そのころ、私が社員とパートさんの中で一番古株で、自分の中でそこしか誇れるところがなかったんです。(苦し紛れ)
周りには実力がある同僚が何人もいましたしね。
長くお世話になっていながら生意気にも精一杯私なりに強気に訴えたんです。
でないと、生き残れないと感じていたんです。
これだけ会社のことを思って頑張っていると。
仕事が楽しいのに、今までと何かが違っていると。
大手の会社でしたら通用しなかったかもしれません。
経営者の方が怒らずに私の話を聞いてくださったのは、温情を頂いたのだと思います。
すると、翌日だったか数日後だったか、新しく「顧客カスタマー」という部が設立されて、そのチーフに命名いただいたんです。
認めてもらえた感じもあり、うれしい気持ちでした。
もちろんその分毎日大変でした。
結婚して、少し経つまでチーフとして働かせていただきました。
その後はパートにしてもらい、結婚後1年ほどで退職させていただくことになりました。
初めに撮影してと言われた時に、「えーーー私が?!」と思ったあの頃の自分は、その後大きく成長させてもらって、ひとりで出張撮影にも行けるほどになりました。
もしかしたら、今でいう、ブラックだったかもしれません。
そうは思っていませんが、当時、月に3~4日の休みで、どんどん有給が溜まっていきました。
でも必死についていった当時の私がいたから、技術がほぼ無かったのにひとりで撮影に行けるくらいの必要最小限の力は身に付いたと思ってますし、
それを受け入れてくれた会社があったから、成長が出来たと思ってます。
そして、夜は22時以降まで働いていることも毎日のようにありましたし、不思議とみんなと一緒に働いているのが楽しかった気持ちもあったんです。
特に夕飯を食べるのは、楽しかったなぁ^^
勝手ですが、連帯感も感じていて。
家族じゃないけど家族のような、家族よりも長い時間を共有している同士のような戦友のような、そんな風に私は感じることもありました。
仕事が終わらなくてイライラしたこともありましたが(笑) …スミマセン
そ~んな私も、すっかり母になり、主婦業が板についてきたかどうなのか、適当にやってます (*´ω`*)
まちがいなく、私の青春だったあの頃。
いまだに夢を見ます。
「!!今日出張撮影だった!!」って (;^_^A そんなことはもうないのですが
もし機会があったらまたストロボとカメラ一式新調して、あの頃を思い出しながら今度はのんびり撮影を楽しみたいなぁなんて思ってます ^^